2015統一地方選挙で思ったこと〜選挙カーはこれからも有効手段〜


 
先週か、統一地方選挙の投票日で朝から家を出ていて「やばい、このままじゃ投票できない」と思って早目にニコニコ超会議を切り上げて、20時ギリギリで投票会場に滑り込んだ。正直誰に入れるか、迷った。理由は、候補者が多過ぎることと、1人にしか入れられないことだ。全員を知らないで投票することに何となく気が引けていた。無難に実績を見て、それを基準に入れざるを得ない。

CanCamに出ていそうな立候補者

候補者ボードを見てて思ったのは、若い候補者が多いことだ。というよりCanCamに出ているような方が数人いて、何だこれ?と思った。彼女たちは普段何をしていて、何をするために立候補したのか、知りたかったけど、そんなこと調べることもなく投票日を終えた。

ニートが立候補

埼玉のどこかでニートが立候補したことが話題になった。若者の政治への関心の低さが最近問題視されているが、そんななかでニートが立候補するという政治への深過ぎる関与に割とポジティブな声が多かったように思うが、そのポジティブ、マジなのかと思った。ニートをdisるわけではないけど、ニートを現在社会に出ることを自らの意思で拒んでいると敢えて定義した上で、そんな人がもし本当に政治家になったら、上手くいくと思うか。社会に出ることを自らの意思で拒む、というのは、多分自分の理想がしっかりあってそこから外れるものが本当に嫌で、というように自分のことを絶対視する傾向があると思っていて、勿論他にも外が嫌で…など外に対する恐怖心でニート化するということはあると思うのだが、そういう人は、立候補するとかないと思うので。

そんな方が、人の考えを聞き入れることも大切な政治家になれるのか、と思うわけだ。

選挙カーは無くならないと思う

選挙カーうぜぇ、そんな低次元な話ではなく、というか選挙カーで税金使うな、とかそんな事ばかりが議論の対象で、確かに古臭い選挙活動手法で、何より普通に生活していて、選挙カーからの爆音が本当にうるさくて、何だよ、今だけ活動しやがって、と反射的に思うけど、年度内予算があまり過ぎて意味不明なプロモーションに使うみたいな、そんな感じなんだろうな、程度に見ている。

多分選挙カーは無くならない。駅前での演説は有効手段だと、選挙カーをdisる人も思うと思う。その演説の場所を移動式にしたのが選挙カーでこれは当時、画期的であったように思う。で、この選挙カーがインターネットの出現で、「無駄だろ、インターネットをもっと使え」と頭ごなしに人は言うが、広告を出すわけでないインターネット活用は、プルでしかなく、興味ある人にしか届かない。とか思いながら、選挙カーというのは、まだ有効手段だなと思う。

「SNSを有効的に活用しろ!」そんな声も聞こえた。SNSなんて小さい。お年寄りが囲えない。何より口コミに自分の人生かけるのかよ、人生かけるなら土下座してでも選挙区内の人たちのなかに入り込んで、「どうか、清き一票を」とお願いしに回るだろう。その形が、選挙カーで車×マイクという怠惰が見えて煙いかもしれないが、刺さる人に刺されば十分なのだ。

投票はあくまでポジティブな一票

「この人には絶対に議員になってほしくない」というネガティブな一票が あったとしたら、選挙カーは見直されると思うが、現状、投票はあくまでポジティブな一票。嫌われても別に当選する上ではどうでも良いように思う。自分の声をばら撒いて刺さる人を1人でも獲得できるようにもっと100人、1,000人に嫌われながら声を大にして攻める選挙活動は、潔さすら感じて僕は攻め方として気持ちの良さを感じている。

インターネットのバナー広告みたい。


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