ノートルダム大聖堂の火災中にインスタで起きていたこと


2019年4月16日。今朝、目覚めて、いつも通りTwitterを開きタイムラインをさーっと眺めると、「4月16日には歴史的な事故や事件が起きている、タイタニックとか…」というような内容のツイートがあって、このツイートの今年の4月16日の欄には、「ノートルダム大聖堂の火災」とあった。起きた直後であったが「まさか」と思い、すぐまたタイムラインに戻ると、ノートルダム大聖堂らしき建物から炎と煙が上がっている動画が連続して飛び込んできた。そして、やっと、ノートルダム大聖堂が本当に燃えているのだと思えた。

半年ほど前に、夏休みをとり、一人でフランス、パリを1週間ほど旅行していた。パリの中心街には、ルーブル美術館などのたくさんの美術館やエッフェル塔、また有名料理店や夜のお店、忘れてはいけないノートルダム大聖堂などの教会、歴史的建造物、これらのたくさんのものが密集していると思っていたが、確かに地図上では密集しているように見えるのだが、パリは想像以上に広く、地下鉄やタクシーを使わないと移動できない。そんな中でもパリ市内を歩いて散策していたのだが、何かとシテ島を歩いて通り過ぎることが多かったことを思い出す。シテ島に渡る橋のところでパフォーマンスをしている人が多かったり、美味しいアイスクリーム屋さんがあったり。何よりノートルダム大聖堂周辺の賑わいはウザったくなくとても楽しげで、ピースフルで、少々ゆったりしていて、いつ歩いても気持ちが良かった。セーヌ川が近くにあることもあるし、あのノートルダム大聖堂が近くにあるからか、「パリにいるぜ~~」と思え、一番パリにいるという実感が持てたスポットである。だからか、ノートルダム大聖堂はパリの中心と勝手に思っている。


ノートルダム大聖堂の外観

そのパリの中心、ノートルダム大聖堂が燃えてしまったのである。

半年前のパリ一人旅で、ノートルダム大聖堂の展望台?に登ろうと思った時、予約券を出すのに手こずっていて、でもどうしても登りたく、インスタのストーリーズで「誰か、パリにいる人、助けて」と投稿したところ、1人、とても親切な方が反応してくださり、翌日無事、その方と合流し、一緒にノートルダム大聖堂の展望台?に登ったことが懐かしい。ノートルダム大聖堂から眺めるパリは青くて白くてとても綺麗だった、今も鮮明に思い出せる。


ノートルダム大聖堂から見えるパリの街並み

逆側を見るとノートルダム大聖堂の建物そのものの造形を楽しむことができる。


ノートルダム大聖堂の尖った塔
少し高い位置から見たノートルダム大聖堂の尖った塔

尖った塔が印象的でその尖った塔の下部に人の像が並べられていることにとても興味をもった。

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あの日に見た、ノートルダム大聖堂が今、炎に包まれ、登った時に印象を強く持った、あの尖った塔が崩れ落ちた時、僕が中学生の頃、ワールドトレードセンターが崩れ落ちるシーンをテレビで見た時に受けたズシンという衝撃を感じた。「あぁ…」と何もすることができず、ただ立ち尽くしてしまうような、自分が最大限無力化されたあの感じ。

半年前にノートルダム大聖堂に行っていて良かった、という気持ちより、半年前に僕は本当にノートルダム大聖堂という場所に本当にいたんだろうか、と行った記憶も何となく曖昧になったような感覚がある。

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あまりに悲しかったから、その旨を半年前にノートルダム大聖堂に行った時に撮影した写真を添えて、インスタの投稿をした。位置の設定を「Cathédrale Notre-Dame de Paris」、ノートルダム大聖堂にした。

何となく、その投稿を、ストーリーズにも引用し、その時の位置も「Cathédrale Notre-Dame de Paris」、つまりノートルダム大聖堂にしていた。

しばらくして、ストーリーズ投稿のインサイトを見てみると、いつもよりもたくさん見られていることが分かった。いつもの3倍くらいか。見られる、つまり投稿のインプレッションが多かったことは、投稿の位置を「Cathédrale Notre-Dame de Paris」、つまりノートルダム大聖堂にしていたことによるものであることにインサイトを見てすぐに分かった。

世界のたくさんの人が、今のノートルダム大聖堂を確認するために、Instagram、インスタで「Cathédrale Notre-Dame de Paris」と検索し、ストーリーズ投稿を見ているのだ。僕は、ほぼ無意識にインスタで一般投稿をする際、ストーリーズ投稿をする際に「Cathédrale Notre-Dame de Paris」と位置を設定していたのだが、世の中の人たちは多分意図的にそれをしていて、その証拠に、自分が過去にノートルダム大聖堂に行った時の思い出の写真に、悲しい気持ちを表すGIFを載せて投稿していた。

インスタで「Cathédrale Notre-Dame de Paris」と検索している世界中の人々は、ノートルダム大聖堂に行ったことがある世界中の人々の思い出に浸る投稿なんて見たくなく、きっと「邪魔だ、邪魔だ、今のノートルダム大聖堂の火災の様子、またその周辺のパリの様子を見せてくれ」とそう思っているのだろうが、燃えているノートルダム大聖堂の投稿に辿り着くことが難しいくらい、「Cathédrale Notre-Dame de Paris」の検索先が、思い出投稿で埋まっていた。

あまりの思い出投稿の埋まり具合に、「炎に包まれたノートルダム大聖堂を見せたくない」というノートルダム大聖堂に行ったことのある世界中の人々の意思みたいなものを強く強く感じた。

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東日本大震災の時はTwitterが今の東北を知るためのツールであったように思う。

今は、どうかと思うと、勿論Twitterは顕在であるが、Instagram、インスタの検索からのストーリーズ投稿はかなり有効であると思ったが、その場所に行ったことのある人の思い出投稿が大量に出現し、今の現状現況を知ろうとする人の邪魔をするが、多分それは邪魔ではなく、位置で検索している今の現状現況を知ろうとする人に対する「本当にあなたはそれを見るのですね?」という確認のような存在で、検索した人は思い出投稿を見る度に、ふと、検索した自分を客観視し、「なぜ自分は見ようとしているのか」と振り返ってしまうだろう。それはつまり、見ることの責任の植え付けである。「見てあなたは何をするのか」そういうもの。そんなことがあるような気がしている。

東日本大震災の直後、僕はTwitterでたくさん検索して被災地を見た。そして現地にいる人の声を聞いた。なぜ自分はこのような検索をしたか分からないが、あまりに見過ぎて、その年の夏休みにボランティアに行った。何ができるか分からなかったが、1人車で東北に向かいながら、どこに行くか決め、女川町なら何かできそうだ、と電話をして分かり、向い、ボランティアをした。

インスタで悲しみの声としてのストーリーズ投稿に大量に触れると、「俺、何してるんだろう」と思いやすくなる気がするんだが。どうだろう。そうであれば、検索の次の行動に繋げる何かになっているから、とても良いなと思う。検索で終わりは、ちょっとさみしい。

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さいごに。ノートルダム大聖堂の内観を載せる。とても美しかった。今後どうなるか分からないが、半年前の記録を残す。


ノートルダム大聖堂の内観
ノートルダム大聖堂のステンドグラス

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