自死遺族としての10年


 

21歳の頃に父が自殺して10年経った。よく死んだら何かに生まれ変わるなんていうけど死んだ父が何かの間違いで、というのは自殺なんかする奴は人間には戻れないというような話をどこかで聞いたことがあったからで、奇跡的に父が人間として産まれていたらもうすぐ中学生。今思うとあっという間である。人間の一番素晴らしいと思う能力は「慣れる」と「忘れる」だと思っていて、この自死遺族としての10年は、自死遺族であることに慣れ、時に、というか多くの時間はそんなことすら忘れて生きていた。

 

自死遺族になった日」というブログはたくさんの人に読んでもらえ、今でも毎日200から500、多い時は1000を超えるアクセスがあり、コメントももらう。「お前は何もわかっていない」「自分勝手な解釈をするな」という批判も受ける。確かにそうかもしれないが、それをあなたに言われる筋合いもないとは思わないこともなく、コメント表示の承認ボタンを押し公開したくさんの人の色々な意見を隠すことなく並べている。

 

自殺を考えている人、自殺を試みた人、自殺で大切な人を亡くした人、亡くしそうな人、そんな人が自死遺族になった日のブログにアクセスし、何かを思いながら離脱していく。そんな離脱する彼らの気持ちがポジティブな方向に行ってくれることを願う。人間の素晴らしい能力「慣れる」と「忘れる」を信じて生き続けてほしい。

父が自殺してからの10年、父の自殺をしばらく忘れるくらいのことはたくさんあった。辛かったこと、そして嬉しかったこと。しかし、そういう気持ちの浮き沈みの中で大きな山の頂点、深い谷の底辺の時に目を瞑ると必ず父が登場し、何も言わずに目を合わせずに通り過ぎる。10年経っても変わらない父は、僕と引き続き変わらない関係で付き合ってくれている。人との関係は実はその相手の生死に依存しないと思うくらいで、死んでも人は生きている人の中で生き続ける。父は僕の中で死ぬことはないだろう。

 

—–

  

ブログ「自死遺族になった日」で書くか迷ったことがあり、結局書かなかったことがある。それは父が帰って来なくなる前に僕と父は喧嘩をしていたことである。

兄弟で言い合いになっていたところで突然父が帰宅するなり僕の顔面を殴り目の周りが腫れ上がり目が出血し赤くなって僕は少し倒れ、起き上がるなり鏡を見て今まで見たことがないくらいに酷い顔になった自分を確認してから、父の元に行き、すると父は1人台所で夕飯をとっており、僕は大声で「どうしてくれるんだ。黙ってんじねぇよ。見ろよ。お前のせいでこんな顔になったじゃねぇかよ。おい。どうしてくれるんだ。あまり帰って来ないなら、二度と帰ってくるなよ。死んでください。お願いします。」と叫んだ。父は僕と目を合わすことなく黙々とご飯を食べていた。夜24時くらいの出来事で、翌朝父は会社に出たまま、そのまま1週間ほど帰って来ず、自殺した。父は自殺をする前に母の携帯にメールを送っており、その内容は「死ねと言われたから死にます」というもので、受信時刻から見て、火をつける直前に送信していることがわかった。

 

言葉というのは時に絵として頭の中に保存される。

 

「死ねと言われたから死にます」

 

あまりに稚拙な言葉でこんな人を父にもった自分をすごく残念だと思うくらい「ふざけんな」と思いながら、父はそのメールをもって僕を殺そうとしたんだと思う。その気持ちがどれほどのものかは計り知れないが、カッとなって吐き捨てたような軽いようにも思えて、「そんなことで本当に死ぬなよ」と崩れながら10年前の当時に思った。あの時の力が抜ける感覚はまだ消えない。

  

今も口の悪さは治っていず、「死ね」という言葉を封じることなく、この10年の間、何人かに放ってしまうくらいの学ばない性格ではあるが、僕は「死ねと言われたから死にます」を見て決めたことがあって、それは「人生、人のせいにしない」ということ。人のせいにして死ぬのはダサいと、父に対して生理的に思った。

父が意図したと想像する僕もろとも殺すメッセージは僕には響いていない。しかし絵として僕の脳みそに刻まれた一生忘れないであろう言葉になり、一生この言葉を背負って生きるのであろう。ただ、それは「僕が殺した」ではなく「あなたみたいにならない」という意味である。

 

もう何も言えない、何か言う権利もない彼に僕らの楽しい人生を邪魔されるのはごめんだ。自死遺族は死んだ人が残したメッセージや行動を自分勝手にでも解釈してポジティブに生きるしかない、そうしないとやっていけない。そうしたからやってこれた。

 

父の命日、母と2人で墓参り。父などの骨が入ったうちの墓の隣の墓のお線香を置くところに蜂が巣を作っていた。1匹の大きな蜂が忙しく巣の上を歩き回る。僕が近づくとその蜂と目があった。そしてその蜂は行動を止め、しばらく静止してずっと僕を見つめているようだった。

 

蜂は父かもしれない。そんなことはないんだけど、全てのことに意味付けする人間のセンスは良いのか、悪いのか、分からないが、すぐに住職に「蜂の巣があったので駆除剤をまいて巣を取ってもらっていいですか。難しければ僕がやります」と伝え、「こちらでやるので大丈夫です。教えてくださりありがとうございます。」が返ってきた。

 

あの蜂が父だとしたら、もう一度死ぬ。そしてまた何かを都合よく父だと思い勝手に解釈してよりドラマチックに自分の人生を着色していくのもどうかと思うよ自分、くらいに自分で思っているのでこのことについて書くのはこの辺にする。

※※※※※

あの頃、救ってくれたもの


あわせて読みたい

1件の返信

  1. ゆき より:

    私も父を自殺で亡くしました。
    強い雨が降る中、夕方に多摩川で入水自殺でした。
    来月初旬で1年になります。

    父とは仲が良い悪い以前に、物心ついた時から会話もほとんどありませんでした。
    父も1人で散歩に行ったり静かに過ごす事が好きでした。

    何の前触れもありませんでした。

    父と会話すらしてこなかった事を今も後悔して涙が止まりません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です