映画「ヤクザと憲法」を見て


「ヤクザ」という文字を見ると映画を思い出す。とりわけ何の映画か、という具体的なものではなく、ただそこには北野武がドンっといるようなもので、みんな拳銃を持っていて、上下関係が厳しく、時に誰かが逮捕され、殺され、毎日が映画のクライマックスのようなそんな生活を思い浮かべる。

おにぎり屋のたけのしん君から「面白い映画があるんですがどうすか」と誘っていただき、「面白いなら是非に」と返事をした。映画当日、待ち合わせてから「で、何の映画?」と聞くと「本物のヤクザの映画です」と彼は答えた。本物のヤクザが映画に出るなんて、宇梶剛士的な何かか。

ポレポレ東中野という小さな映画館。予告編を見る限りドキュメンタリー映画を流している印象である。

 

 

映画「ヤクザと憲法」

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指定暴力団の二代目東組二代目清勇会へのモザイク無しの密着取材。清勇会は暴対法のきっかけになった事件の渦中にいたとされた人物が会長を務める。普通の街中に清勇会の事務所は存在し、その事務所の中には、映画のようなヤクザな顔の男たちが何人かいて、ただ服装は映画のようなスーツではなく、カジュアルという表現が正しいのか、正装と反対にあるような家着のようなそんな服装で、低い声で会話をして、お札を数えていた。

ドアの向こうの部屋からの暴行の音や組員の逮捕による家宅捜索、組員のよくわからない人と接触、「何をしてるんですか?」というディレクターの質問に対して浮かべた笑みと曖昧な態度、いかにもヤクザらしいのであるが、どこかチャーミングな印象もあった。

面と向かって怒鳴られたらそれはそれは怯むと思うが、電話に向かってする怒鳴りは、どこか演技のような、檻の中の孔雀が大きな羽を広げるような、美しくもあり、お決まりの!というようなそんな雰囲気があった。

清勇会の事務所の前を小学生達が歩くシーンがよくあった。ヤクザは実は身近なところにいるということを表しているのだろう。映画に出てきた一番若いヤクザは、自ら志願してヤクザになったそうだ。先輩に怒られても、お酒を飲んでいても常に顔が真剣で兜を被っているようで何を考えているか分からなかった。その分、周りにいた先輩の組員からは任侠というか人情というか人間らしさというものだろうか、そんな汗のにおいのようなものがじわっと伝わってきた。

「なぜヤクザを辞めないのか」
そんな質問を受けたヤクザが言ったのは「誰が俺を受け入れてくれる?」であった。まさに、である。ヤクザの実数は減ってるかもしれないが一気に減ることはないんだろう。ヤクザの方々が何をやっているのかはわからないが、雰囲気としてお金の無さみたいなものを感じたのはなぜだろう。映画やドラマのヤクザは常にスーツで拳銃を持っていて高級車に乗って移動しているからなのか。多分なのだが、事務所を出たヤクザの生活が自分の生活に近いようなそんな印象をもったからだろう。不思議だ。

 


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