効率を求め過ぎて街から花屋が消えるのがつらい


「花屋の店先に並んだ小さな花を見ていた」

これは、有名なSMAPの「世界に一つだけの花」という曲の一番最初の歌詞なのだが、きっと花を見ている人にとっては、その花屋はお馴染みの店なのだろう。いや、その花屋で一回も花を買ったことはないかもしれないが、いつもその花屋の前を通って、花屋の存在をしっかり認知していると思う、花を買う機会なんて、そうそうないけど、花屋ほど季節を意識する場所は都市の中にあるだろうか。屋外の広告は見られなくなったかもしれない、それは歩いていてもスマホばかりみている、という行動が一般化しているからで。その屋外広告が見られているかどうか、そんなのはわからない、が、花屋の存在はスマホを見ていても感じる、なぜか、理由は匂いだ。匂いを持つのは、だいたいレストランか、花屋だ。季節を感じさせ、良い匂いも漂わす、人の感性を刺激する。

街を歩いていると、喪失感が漂う場所がある。花屋がなくなっている場所だ。普段通り過ぎるだけなのに、とてつもなくさびしくなる。

花屋のビジネスはよくわからないけど、稼ぐことにおいてそんなに効率的ではないのだろう、そんなことだけが何となくわかる、その効率性で負けて、きっとその場から花屋はなくなったのだろう、無念だ、勝手な解釈。

この前、外苑前のFUGAという花屋に行った。新入社員の時に先輩の祝いなどの時によく花束をお願いしていたお店だ。

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花束をプレゼントするために。用意してほしい時間の一時間前に連絡…すぐに対応してくれた。

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バラ、トルコキキョウ、ピンポンマム、マトリカリア…イメージ通り!すごく抽象的に欲しいものを伝えて、欲しいものがくるとすごく嬉しい。そんな感覚に毎回なる。

花はすぐにダメになるけど、記憶には残る、匂いも残る、そんなパワースポットだと思ってるから、本当に花屋らなくなって欲しくない。昨日の「花咲舞が黙ってない」じゃないけど、花屋がなくなる都市なら潰れてしまえばいい、そのくらい思う。

 


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