血統書なんか必要か〜訳ありの犬に触れて思うこと〜


実家にいて、朝起きて、自分の部屋は二階で階段を降りるとそこに親戚が来ていて、見知らぬミニチュアダックスを親戚は抱えていた。数年前に死んだはずの犬と同じ犬種、しかももう完全に成犬を過ぎた感じで、ますます「あれ?」と思った。聞くと、訳ありの犬を譲り受けたという、12歳だ。訳ありが気になり質問すると、親戚は3人目の里親。1人目、2人目と飼い主が亡くなり、今に至るという。失礼なのだが、その説明を受けて「不幸を呼ぶ犬か?」と思ったが、今もう飼って3年目で不幸は訪れていない様子だ。

こういう話をしている中で、アニマルレスキューの話になった。

 

アニマルレスキューとは

アニマルレスキューとは、東日本大震災でペットの飼い主が、そのペットを飼えない状況に陥り、そこでペットを譲り受ける施設のことだ。その施設が、僕の地元、神奈川県寒川町にあった。今は、何の事情があったか知らないが、福岡に移ったという。

アニマルレスキューのUKC JAPANのブログは必見で、ここの記事を何かの機会で見て、こういうかたちの震災ボランティアがあるのかと知って衝撃を受けた。このブログでは、日々、そこの動物たちのことが丁寧に書かれている。

寒川町にアニマルレスキューがあったころ、屋内、屋外に多くの犬がいて、かなり目立ったようだ。そこの職員が1人犬数匹を連れて歩く光景は母も妹ははっきり覚えていた。

血統書なんか必要か

僕は小さい頃から犬と猫と魚と亀と昆虫と一緒にいて、中でも犬は、躾ければ、覚えてくれて、一番一緒にいたように思う。今は、ボストンテリアを飼っているのだけど、昔は専ら雑種で、なんとなく、雑種って印象として見劣る部分があるのか、今は全くそんなことはないのだが、小学生だった頃は、周りはゴールデンレトリーバー、ラブラドールレトリーバーの血統書付きを飼っているなかで、少々の恥ずかしさを感じていた記憶がある。そんなことを感じながら、犬を躾ける。そして亡くなると人が死んだように泣く。愛する犬を想って「血統書なんかいらない」と思っていたのだが、訳ありの犬に触れると違った意味で「血統書なんか必要か」と思う。

勿論、生物としての貴重性を鑑みると、血統書、というエビデンスは非常に重要なものだと重々わかっているのだが、飼う生物として、そこにこだわる必要がまずないと思っているからで。

親戚が抱えていたミニチュアダックスは、親戚の元に来た時、目の黒い部分が小さく白い部分がかなり目立っていて、精神的にやられている様子だったという。だが、親戚が丁寧に飼うなかで、黒い部分が白い部分を侵入して普通の犬の目になっていったという。ジーパンとバイクを見るとやたら吠えるのは、前の里親の元で何かあったからで、でもその何かはわからないのだけど、きっと何かあったからで、そういう今までの犬の人生、いや犬生を考えるとわからなくて涙が出そうになるが、犬には犬の事情があって、その事情に合わせて症状が出てきて、要は人間のようにナイーブなのだ。だからこそ、可愛いく、接する上で人間のような感覚にある。そして悪いところから良い方向に向かう過程を一緒に過ごせる分、生後数ヶ月で買う犬とは違う愛情が芽生えるのかな、と親戚に対して思えた。だって、明らかに昔のミニチュアダックスを抱えている時と違う表情をしていたから。血統書が付いた犬を飼うのとは違う世界が多分あって、それは飼った人にしかわからないし、多分の犬の訳ありの訳の部分によって、犬それぞれの性格によって、◯×◯通りと、何通りになってくるのだろう。

 


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