水のまち郡上八幡(岐阜県)に行って見たこと・感じたこと2015


青空を見ると開放的な気分になり、より開放的な場所に行きたくなるというか、そとそも、その開放的な場所というのは、人それぞれなのだけれど、大枠は、水がある自然的な場所、つまりは、海や川、と勝手に思っているし、少なくとも僕はそうだ。

昨日今日の土日は、晴天。自然がよく似合う晴天であった。このブログを書いている今は、東海道新幹線で一人、サークル合宿を終えた大学生のような、汗ダクのTシャツにハーフパンツ、クロックスの装いで、隣がこんなヤツだったら本当に嫌だと感じるくらいの不潔感を発散しているのは重々承知しているくらいで、それなりの晴天を自分勝手に楽しんだ、そんな自覚がある。晴天万歳。

郡上八幡に行った

  
そんな晴天の日に岐阜県の郡上八幡に行った。「水のまち」と呼ばれるくらい綺麗な水が川を流れ、郡上おどりも有名である。郡上八幡について少しだけ紹介する。

水のまち=郡上八幡

16世紀に、八幡城が山の上に造られ(遠藤盛数より)、その城下町として栄えたのが郡上八幡である。幾度か火災被害に合い、火災対策のため水路網が進化し、町中に水路が張り巡らされる。また山に囲まれた地形であるため、山から出た綺麗な水がすぐ人が生活する場所に届き、この水を飲み水として利用することは勿論、野菜を冷やし、食器を洗い、衣服を洗い…と生活のあらゆる用途で利用。水質の良し悪しに合わせた段階的な利用ができる水舟がつくられ、それを地域共同で利用されてきていて、今もなお、それらは利用され続けている。水路も水舟も色々な地域にあったと思われるが、今もそれらは利用され、狭い範囲で残っていることが珍しく、この郡上八幡の価値になっているといえる。
 

水舟

  
写真は水舟である。下に向かい水が流れていて、この水舟は2つの箱に分かれている。写真では同じ物が入れられているが、本来は、下に向かうに従い水質を気にしない利用になるもので、上から(3箱あった場合)

  • 飲み水、調理
  • 食材を冷やす
  • 打ち水、水やり

のような利用がされている。

 

 火災対策と景観

  
郡上八幡の町を歩くと、道の両側に水路が通っていることがわかる。そして、水が流れる音がデフォルトで鳴り、生活の基調になっているくらいで、しらばらく郡上八幡にいると水路の音が気にならなくなるが、その音のおかげで、暑い夏が少しだけ涼しく感じられていたのだと思う。

   
 小さな町ごとで、水路の蓋が異なり、町ごとの美意識がうかがえるから、注意深く見てほしい。意外に面白いと思う。この水路には工夫がある。

  
この水の高さを覚えていて欲しい。

  
「せぎいた」と呼ばれる道具を水路にはめるとその道具により小さいダムができ、水がたまる、水深が深くなる。こうすることで、水を掬いやすくなり、つまり打ち水しやすく、またモノを洗いやすくなる。

 

写真はないが水路の真ん中の高さくらいに鉄の棒が通っている部分があるが、あれは子供が水路に流されてしまった時に下まで流れず止まるように設けられてある。この水路のデザインから学ぶことがたくさんあると思う。

  
多くの家にはバケツが吊るされている。これは16世紀以来からの名残で、火災が起きた際に水路の水をこのバケツを使って掬い火に当て消火を目指すためのバケツだ。

その他、防火のアイテムとしては、

  
屋根に向かい斜めに伸びた壁は「袖壁」と言い、この袖壁のおかげで火事が起きた時に隣に火が回りにくくなるようだ。

また、

  
このような鐘がたまに発見できるが、この鐘は火災が起きた際に、町の住民に火災を伝えるためのものだ。

色々な小物や家に特徴が見つけられるが、それらにはきちんと意味があり、ただ、そのデザインを含めて、郡上八幡の特徴的な景観になっているように思う。

その他の郡上八幡のアイテム

    
 
地上に大きな提灯や飾りがある。これは郡上おどりの時期に街を盛り上げるためのものである。

  
写真は郡上おどりの様子で、地元の人もいれば観光客もいる。地元の人が観光客に郡上おどりを教えたりする様子を見ると、ただ街を眺める以上に、この街に深く関わるというか、そこの街に住む人と話し、一緒の時間を共有することで、街の様子から見えなかった生きた体験を加えられ、後から振り返ると「あの人に会いたいな」とか思うくらい、深く、深く、記憶に残り、また行きたいと思えた気がした。

   
 写真は宗祇水。宗祇水とは郡上八幡の湧水、名水百選の第1号に指定されている場所で、観光客がどっと集まる場所である。水を飲むことができる、美味しい。

   
  

町の名前が書かれた看板やスポットの名前が書かれた行燈が置いてある。至るところに置いてあるからとても気になる存在になっていて、「あ!」「あ!」と気付く度に「町が変わったんだ」とマインドチェンジを促すものになっていると思う。またこれらのデザインがとても美しいから、郡上八幡のセンスの高さを刷り込まれる。

 

他にもたくさん素晴らしいものがあったが、割愛する。是非これらのものを探しに郡上八幡に行ってみて欲しい。

 

川で遊ぶ

   

川で遊ぶのは郡上八幡に来た時だけ。

今回は釣りをすることに。
  

餌から自分で見つける、捕まえる。

岩の裏にある芋虫のような虫が餌になる。

  

その餌をためる。
 

この餌を釣り針につけて(後輩が釣り針に餌をつけてくれた。ありがとう)釣りスタート。2匹釣れた。

  

僕らが釣りをしていた上流で、地元の少年たちが泳いでいた。時間があれば川で遊んでいる、と彼らは話していた。

 

川で遊ぶと町をキレイにする意識がうまれる

10mくらいの高さから川に飛び込んだ研究室の後輩が「川で遊ぶと川をキレイにする意識がうまれる」と話していた。

まさにと思った。僕は鵠沼でボディーボードをしていて、湘南の海を汚さないために、自分の生活からゴミのあり方を考えて、ゴミはきちんとゴミ箱に捨てるように心がけている。

湘南の海岸に打ち上げられたゴミで一番多いのはタバコのフィルターだ、と聞いたことがあった。それらは街中でタバコがポイ捨てされて、川を通じて流されて、海に辿り着いたということだ。

川や海は、実は、川や海周辺の問題でなく、水の流れる特性より、街と密接に関わっている。街で生まれたゴミが川や海に反映されるのだ。

郡上八幡のまちで、小さい頃から川で遊んでいたら、その川を汚すことはきっとしないだろう。ましてや生活の中で水舟や水路を利用して、流れる水と地域の人間関係を意識していたらなおさらだと思う。そういう点で、郡上八幡のまちというのは、川の水を綺麗に保つためのゴミ捨て、汚水に関する意識的な教育が素晴らしいと思える。川で遊び、日頃の生活から密接に川と関わることで、町自体を綺麗にする意識が生まれていることを、やや強引にではあるが、先にあげた町のなかにあった看板や行燈や提灯や家や、そういう小さなしつらえ部分からも感じられる気がしてならない。全ては、川を綺麗にする、そこに通じているのではないか。

 

川辺、海辺空間が大事な理由

郡上八幡のまちで後輩が話した「川で遊ぶと川をキレイにする意識がうまれる」。ここに、川辺、海辺空間が大事な理由がある気がする。

ポイ捨てはいけない、こんなことは誰だってわかっているのに、なくなることはない。けど、より少なくすることはできると思う。その答えの一つとして、後輩が川をキレイにする意識がうまれたきっかけとなった、「川と遊ぶ」をどうつくるか、その考え方にあるのだと思う。

川辺、海辺で川と海に接して、川、海をキレイにしないとと思わせる、全てはそこから始まると思う。

色々と知らない場所で、川辺や海辺空間がつくられているが、そこに目を向けたいと思うきっかけになった郡上八幡の旅だった。

また郡上八幡に行きたい。そしてたくさんの人に郡上八幡に行って、川のことや水のことを考えてもらいたい。

 


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