〈個人的〉Twitterで自分のツイートしか見なくなっていたら警告する


  
ブログとか書いて、それを読んだ人がどういうことを思ったか、リツイート、お気に入りのアクションの次のツイートに反映されていることがあって、それを追うことが楽しみになるなかで、少しずつTwitterの使い方が、自分、自分、自分…と芸能人でも何でもないのに、自分にばかりに目がいっていることに気が付き、そういう時はだいたい、自分にも目がいっていないというか、時間すら忘れて寝る時間だけが後ろ倒しになっていくというか、あまり良いことがないことに気がつくというか…要は一日のうち「3分」と時間を決めてエゴサすれば良いくらいの価値なのに、都度、エゴサして調べている時間は本当に何も生んでいないし、健康にも良くない。

「読まれた」という報われた気持ちから新しい切り口が生まれているわけではないし、人の意見を聞いたら、ある事に対する意見の席を一つとられたことになる、意見は椅子取りゲームだと思っていて、本当に早く言ったもの勝ちで、インターネットは思ったことをすぐにあげられるから、みんながみんな、良い歳した地位も名誉も手にしてそうなFacebookで活き活きしているおじさんたちも挙ってカルタでパシンッとカードを叩くように、引用のシェアが増える。誰かの意見の上に自分の意見を重ねる、なんか研究論文の既存の論文を整理して自分の研究論文の位置付けを示すようなことなら分かりやすいし、そこには意義しかない(はず)のだけど、「その意見、記事に既に書いてあるよね」とか「その意見、東洋経済に載ってたよね」とか思ってきて、あーとにかく「すごい」って思われたいんだ、と張りぼての盾の向こうから感じることが極々たまにある。もちろん本当にすごいって思うことの方が多いのだけど、たまにたまに…

「こういう切り口どうだろ」

と投げかけた時に、ハマるときハマらないときは、エゴサしなくてもまず面白いほどに数字で現れる。それは意外なケースが多いというか、「面白くないかも」と思いながら書いていたとしても、書いていくうちに「面白いよね」と錯覚し出す、自惚れ以外の何物でもない。ただそういう誤解、自信過剰をブロックしてくれるのが数字で、そんなシビアなWebユーザー一人ひとりの何気ないタップ、クリックが、面白いほどに「面白い」のレベルを表していることに毎回気が付き、数字というはっきりした評価に面白さを感じているという意味で、自分自身、支えられているのだった。

みなさま、いつもありがとです。


You may also like...

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です