「謎解き」の面白さとポテンシャル
今日初めて謎解きイベントに参加した。謎解きとは、かなり頭を使う推理型の宝探しゲームのことだと認識している。少し前にかなり流行的に各地で行われていた印象であるが、今回、六本木ヒルズ周辺域をつかったもので規模も大きく、「終わるのか?これ」と度々不安になった。
「謎解き」の面白さ
多分これは一人でやるものでは全くなくて、複数人で知恵を絞って、アイデアを出し合ったり、時間制限もあって、問題を分けて、それぞれで解き、答えを集約してゴールを目指すものだと思った。問題を解くという達成感だけでなく、チームに協力している感覚は、多分プレイしてみないとわからないし、そもそも、どこがゴールかわからない。最初に渡された問題を解くと、そこには次の問題がある。そんな感じで、とにかくスピードを重視して、それに合わせてチーム内で役割を分担する必要が出てくる。
プレーをしていていくつか不思議な感覚を持った。
- 自分で解かなくても良いや、と思える
割と自分で何でもやりたくなるが、ここでは一緒に動いている人にはそれぞれ得意な問題があり、時間短縮のためにそれぞれに問題を割り当てる。勉強の試験というよりは、会社の仕事みたいな感覚だ。
- 一緒の空間にいる人、全員がライバルに思える
六本木ヒルズには仕事している人や映画に来ている人などそれぞれ違う目的を持った人が集まる。そうと分かりながらも、感覚的に全員ライバルに思ってしまった。
謎解きのために集まっている人もいるが、それが全員ではない。
- 人の動きは、あまり気にしない
こういう問題をやる時、人の動きがヒントになるが、あえてそれは意識しなかった。それは「謎解き」のゲームの特性として、一度通過した問題がある場所にまた戻ることがあり、例えば人が集まっている問題(場所)が、自分が解く問題というわけではない。推理小説を章をランダムに読まないように、「謎解き」もまた一つひとつ目の前にある問題に自分たちのペースで向かうため、人の動きを最終的に意識しなくなっていた(最初はかなり意識していた)。
「謎解き」のポテンシャル
「謎解き」に対して、もう流行は終わったのかなと僕はプレーしたことないのに勝手に思っていたし、それはそもそも間違っていたし、何より、「謎解き」のポテンシャルを感じる場面が多々あった。
- プレー人口の多さ
驚いたのは、今日僕らと同じように、「謎解き」に参加していた人の多さだ。六本木ヒルズでは、仕事をしている人もいれば、美術館やテレビ朝日、その他イベントの客も入り混じる。そんな中で、この「謎解き」の紙を持って歩いていた人がかなり目立った。勿論、自分と似たものが意識上目立って感じるということはあれど、だいたいが立ち止まり、問題を解くのに必死になっていた。若い大学生ぐらいの人が多いように思えたが、アラサーのカップルや熟年夫婦、また子連れ家族と広く楽しんでいたように思う。
- その土地を深く知る
六本木ヒルズには何回も行ったことはあったが、あれだけ色々なところを歩き回ったことはなかった。「ここにこんな店があるんだ」「へぇーこう繋がってるんだ」と発見の連続。知ってる街であればあるほど、この「謎解き」は面白いかもしれない。
- プレーをしながら消費する
問題を解く時、立ったままでは何となく嫌で、座りたくなる。考えるから糖を摂りたくなる。だからカフェに行くのだ、クレープを食べたくなるのだ。そして、お店に行って、お金を払う。そんな構造がきちんとあるし、プレー中に色々なお店の前を通り、「あ、これ欲しい」と突然、謎解きの欲求以外の物欲が現れる。そこで物欲が負けたとしても、プレイヤーの記憶の中には、お店の場所は残り、何かあった時に思い出して、そのお店に買いにくることも流れとしてあると思う。そんな構造が素晴らしいと思った。
食わず嫌いは良くない、と改めて思って
僕は、この「謎解き」は何となく嫌いでイベントに参加してこなかったし、何より「謎解き」について考察することもなかった。これは本当に勿体無いなぁと思ったし、普段から注意していることなのに、食わず嫌いで行動していたと反省。流行りモノには、一度はトライしようと強く思った。