戦争法案と曖昧な日本語と目的遂行


あるAV女優の名前から、大学の研究室のFacebookページへの招待があり、少し立ち止まって考えて「あ!そうそう結婚していたんだった」と自分で納得して、そのAV女優は、結婚を機に名前が変わり奇跡的に有名なAV女優の名前になってしまった研究室の後輩の話で、この話はどうでも良いんだが、研究室のFacebookページに招待された、それだけをまずは伝えたかった。

そのFacebookページには先生もいて、先生の投稿がたくさんあった。

僕は先生の話が好きで、というのも曖昧過ぎるので少し掘ると、言葉のチョイスと、物事に対する僕に全くない視点と、嘘をつかないつかない素直な性格の元からくる信頼性で、欲しくても得られないそのポイントにただただ惚れ、羨み、時に参考にして自分も誰かに話す。この時に先生から学生の時に教えてもらった「参考文献には敬意を」は全く忘れていないので、きちんと誰が言ったかを示し、そこに付加するかたちで僕の意見を言うようにする。教えを守る事は先生に対する敬意だと思うので。ここまで言うと嘘っぽくなるが、守っているつもりだ。

で、気になった記事を先生は紹介していた。

内田樹さんの記事

神奈川新聞、カナロコに掲載されているもので、思想家の内田樹が安全保障法制関連法案についての安倍首相の会見での言葉より感じたことが示された内容。

で分かれているので、まず読んでほしい。

読んでもらうとわかると思うが、安倍首相が使う「日本近海」「後方支援」などの言葉に対して日本人がするであろう誤解と想定される安倍首相の真意ついて書かれ、安倍首相は悪だ、とそんな印象になる。そもそもこう言ったことはネット上にたくさん書いてあるが、言葉にフォーカスして丁寧に分かりやすく書かれていることに、先生の指摘があったから気が付けた。

先生は、この記事を共有する事で、言葉に対する意識化を指摘してくださった。普段、「あれをああしろ」とか「よしなに」とか「しずる」とか物凄く曖昧な言葉を使う分ドキッとしてしまった。

「言葉の意味」と「言葉の意味するところ」の区別を

《「言葉の意味」と「言葉の意味するところ」を考えなさい》

《言葉は、単語は、すべてコンテクストに依存する》

とバシッと先生に言われて、そうだよね…Wikipediaで単語調べて何となくザザザッと理解した事にする自分に反省した。こういう風に曖昧に理解するときっと違和感に気が付けなくなるが、その違和感は敏感に感じることに気がついた。

その理由は、普段「言葉の意味するところ」を考えようとしていて、唐突に出た言葉に対しても話した人の表情を見て、その場の空気を感じて、「これって要は◯◯のこと」と変換するようにしているからだと思う。

「言葉の意味するところ」の意識化 は周りと動く中で発信する時にすごく意識にある事

一人でする仕事はない。いつも誰かの間にいる。良いパフォーマンスをしたと見せなければいけない、だから、相手や周りが何を求めているか、どうしたらやり易いか、どうしたら自分が動き易いか、どこに面倒なことが転がっているか、誰が弱いか、誰に責任が向けられるか、とかとか自分の立場と変な自己保身の気持ちとプライド、そして道徳心がぶつかり合いながら、全体として何が良いかを考え、そのために何の行動をとるかを考えながら、結局自分を守ってきた。(たくさん炎上しましたし。勿論足りない部分はあるけど)

向き合っていることは全然違うが、何となく、安倍首相(の裏にいる方々)には、先生が紹介した内田樹が批判していても、答えの先にある目的には否定的な姿勢だが、手法については「そうやるよなぁ」と肯定的になってしまっていて、どこか自分事化してしまって、言葉のフェイクについては、希望通りに進めるための手段として、目的遂行のためであって、安倍首相の言葉には悪意は(たぶん)あるが、そして詭弁であるが、それ自体には悪さを感じてはいず、言葉の綾だと思った。

「言葉の意味するところ」はオーディエンスが特に意識しないといけない

話の聴き手である場合は、先生や内田樹の「言葉の意味するところ」を意識して、本質を想像することが、詭弁に気が付き、危険から自分の身を守るために必要なことではあると思う。また「言葉の意味するところ」をきちんと把握するために質問をして本質とあぶり出して行く作業が必要になると思うし、不安だから質問をしてきた。

詭弁を出されたら楽だから受け入れてきたけど

内田樹の話の中に、「安倍首相は詭弁を話すから周りからは相手にされない、だから止められる人はいない」とあった。つまり、詭弁というのは、無敵状態だと思った。詭弁に対して「出た、出た」と思いながら、「やるしかないか」と詭弁を受け入れ動く、こういう事は経験上割とあって、ただその時の事を思うと、受け入れるのは簡単だからであった。

多分それではいけない。目的がわからないままパーツになって、間違った事に、危険な事に、もしかしたら貢献してしまっているかもしれない。運んだ物が薬物だったら、武器だったら、逮捕されるように、詭弁を受け入れ、Yesと言ってしまうこともまたいけない事なのだと思う。

詭弁を出してきた相手を「あいつはバカだ」と無視するのではなく、その相手が間違っていたら何としてでも考えを更生させるだけでなく、なんでそうなったのか、考えの根源にあるものを理解しようとして、食い下がるべきであった。詭弁に「詭弁だ」と言ったら分かり合えないのなんか、わかっている。だから「詭弁」を「詭弁」として処理するのではなく研究の眼差しで見つめないといけないと思ったし、「詭弁」のうちである以上、自分の目の前で止めておかないといけないと思った、面倒だけど。


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